5年前に他界した母、1年前に他界した父。
2人が住んでいた、今は空き家となってしまった
自分たちの実家を整理出来ないでいる姉妹が
業者に遺品整理を委託することを決意するという話。
空き家とはいえども、家具や食料品、衣類など遺品は全部そのまま。
まるで、今でも誰かが生活をしているような気配さえ漂っている。
私も妹が1人いて、もし、自分も妹もこの先結婚したら
きっと家を出ることになるだろう。
そしていつか訪れる両親との別れ。
そう考えると、自分たちと、テレビの中の姉妹を重ね合わせずにはいられなかった。
いまだ両親の死を受け入れられず、遺品整理の決意が出来ない姉。
私だったら、どっちの気持ちになるんだろう。
結局、プロ業者のアドバイスもあって、2人は遺品整理を決意することになるのだけど
出てくる遺品に、私はもう涙が止まらなくて。
姉妹は50代くらいの方だったんだけど、
幼稚園の頃に描いた似顔絵や、小学校のテストの答案用紙まで出て来たんです。
「お母さんってね、こういうもの大切に全部とっておくんですよ。」
という業者さんの言葉。
あー、本当にそうだな、と。
私も高校生の頃、押し入れの中に
自分が保育園児の頃に描いた絵や、賞状が出て来たことを覚えている。
結局、あれだけたくさんの物で溢れていたのに
きちんと整理をしてみると、手元に残ったのは段ボール4箱のみ。
姉妹が残すことを決めたもの。
卒業証書、写真、テストの答案用紙、似顔絵、ビデオ、両親の形見になるもの・・・
ほとんどが「想い出」だったんです。
それを観て、さらに涙が止まらない私。
やっぱり人間ってそこに行き着くんだなぁ、と。
番組の中で、姉妹が
「「いらない」という物なんて、何も無い。
だけど、全部をとっておく事は出来ないから。」
と言っていました。
本当なら、全部そのままにしておきたい。きっと私もそう思う。
だけど、全部を背負って、この先ずっと生きていく事は
物理的にも、精神的にも無理があるのだと思う。
その中でも、これは絶対残すんだと決めるものには、
必ず、何かしらの想い出が宿っている。
人はみんな、想い出と一緒に生きているし、
誰にだって大切な想い出は、絶対にある。
これを失くすことは、とても辛いこと。
物はたくさん溢れているけど
断捨離をすると、本当に大切なものは「想い出」。
人の死を受け入れることは、
とてつもなく長い時間と、労力が必要。
人生を生きていれば、必ず誰かの死には直面するし、
その事実を受け入れなければいけない。
本当に、本当に辛いし、自分も消えることが出来たら、どんなに楽だろうとさえ思う。
だけど、「想い出」を失くさなかったら、
その中で、その人との時間は生き続ける。
だからどんなに時間がかかっても、いつか受け入れることが出来る。
遺品整理は、遺品を整理するだけでなく、
遺された人の心の整理にもなるのだと思う。
東日本大震災の時もそうだった。
テレビに写る、被災地の方々はみんな、
ぐちゃぐちゃになった家の中で、必死に「想い出のかけら」を探していた。
「この写真があるだけでも、本当に有り難い。」
そう言って、泥だらけの家族写真を握りしめていた女性。
私にも、きっといつかはこういう瞬間が来るんだろうな、と
テレビにうつる姉妹を観ながら思った。
その時、私はどんな行動をとるんだろう。
生まれてから、大人になるまで、家族みんなで過ごした
想い出いっぱいの家の中が
からっぽになった時、
姉妹はどう思ったんだろう。
私だったら、何を思うんだろう。
と、同時に、この番組を観て、帰る場所のある有り難さを、改めて強く感じた。
私は高校卒業と同時に、家を離れた。
離れたくて仕方が無かった家。
実際に離れてみると、すぐにホームシックになって、
大学1回生の時は、母に電話して「大学をやめる」と大泣きしたこともあった。
だけど、ここまで頑張ってこられたのは
帰る場所があるから。
下を向いて帰っても、あたたかく迎え入れてくれる家族。
「何かあっても、私には帰る場所がある。
だから、まだ少し、ここでふんばってみよう。
疲れたら、本当にもうだめだと思ったら、みんながいる家に帰ればいい。」
そんな想いがあったから、
1人ぼっちから始まった、見知らぬ土地でも、ずっと頑張ってこれた。
今もそう。
実家に帰る回数は、社会人になって減ってしまったけれど、
それでもやっぱり家に帰ると
幼い頃の想い出がたくさんよみがえるし、
あー帰ってきたーって、ほっこりする。
本当に、大切にしなきゃいけない場所。
年末、家に帰ったら、いつもよりいっぱい、家族と時間を過ごそうと思います。
そうやってまた、大切な想い出が増えていくことに感謝しながら。