「のぼうの城」という映画をおうちで鑑賞しました。
2012年の作品。主演は、野村萬斎さん。
公開された当時、
天才か?ただのでくのぼうか?
ってゆうキャッチコピーが気になってて、
けど映画館へは結局見に行けず、
去年のお正月に地上派で放送されたものを録画して
ずっとそのままになってたのを、やっと見ました。
でくのぼうと呼ばれた、
強くはないけれど、人気だけはある男が
豊臣軍率いる2万人の軍勢相手に、500人の村人と共に
城を守る為に立ち上がるお話。
私、日本史に関する知識が全く無くて。
出てくる人みんな歴史上で有名な方々なんだろうけれども
私にとっては、ほんとに「はじめまして」って感じで。
私みたいな人は、あらかじめあらすじを読んでおくべきです。笑
私がこの映画から感じたのは、
「人徳」は人生において、大切だということ。
抽象的な表現だけど、だからこそ「こういうもの」とはっきり定義できないのだけど。
やっぱり人の心を動かすのは、人の想いなんだなあって。
武力にも、お金にも、地位にも勝る。
だって、それらは所詮、全て人がつくりあげたもの。
だから人の想いには勝てない。
登場人物が大笑いするシーンがたくさんあるこの映画。
見ていて、私も思わず笑顔になってしまった。
「ありがとう」や「ごめんなさい」をちゃんと口に出して言える。
身分関係なく、誰にでも同じ態度で接することができる。
自分が正しいと思ったことは、最後まで貫く。
そうやって、自分の心に、他人に心に素直に生きる主人公の人間性は、
見習うべきものが多いなあと感じました。
「素直」に生きること。
*******************************
先日、10年前の自分から手紙が届きました。
仲いい友達はあの子で、好きな歌手は誰で、
「あー中学生だなー」ってことばっかり書いてあったんだけど
最後に、
「10年後の私にはぜったい笑顔でいてほしいです。
つらいことがあったりしても、私なら乗り越えられる。
自分信じて毎日HAPPYにねっ!」
と書かれていて、思わず笑ってしまいました。
このタイミングで届いた、15歳の自分からのメッセージに
不覚にも元気づけられる自分。
2014年もあと1ヶ月で終わります。
今年は、周りの人たちにも変化が多くて、
自分も何かと考えさせられる年でした。
気づけば、来年には20代後半に突入するわけで。
やっぱり自分の「やりたいこと」や「心が向く方向」には素直でいたい。
平凡な人生じゃなくても。ちょっぴり羽目を外しても。
というか私にはそっちのほうが合っている。
長い間、自分の中のふたをしていた部分と
ここ数日ずっと、久々に向き合っています。
くるくる心模様は変わるし、考えも行ったり来たりするけど
自分の中で、もう何年も前からずっとブレないものって
それが自分の芯になっていくと思うし、(というか既に芯なのかな。)
絶対に大切にしなきゃいけないものだと思うのです。
やっぱり素直に生きていこうと思います。
2015年は「行動」の年。
ちょっと早いけど、来年の抱負。
2014年11月30日日曜日
2014年11月20日木曜日
おじいちゃん。
この前、おじいちゃんのお誕生日でした。
お昼休みに、ふと思い出して、すぐに電話。
電話のむこうで、相変わらず元気なおじいちゃんの声。
「今日やったかー?あー、そうや、今日やわ。ありがとねぇ。」
「おんし、元気にやっとるかよ?」
(うちのおじいちゃんは、相手のことを「おんし(おぬし)」と呼ぶのです)
なぜか涙が出る。なんでだろ。
おじいちゃんやおばあちゃんと電話で話すと、いつも涙が出る。
79歳にして、現役で車の整備士をしているおじいちゃん。
小さい頃から、おじいちゃんはいろんな面を持ったすごい人だと思ってた。
うちは自営業。
車の修理工場を営んでいる。
その工場を立ち上げたのはおじいちゃん。
きっと若い頃は、苦労もいっぱいあったんだろうな。
いつもつなぎ姿で、真っ黒に汚れながら、車の下にもぐっていた。
もちろん大型車も乗りこなす。
その一方で、畑の手入れは欠かさず毎日していた。
私たちが小さい頃、いつも体をはって遊んでくれた。
高い高いしてもらったり、おんぶしてもらったり、
ジャイアントスイング的なことされたり。笑
なんでかよくわかんないけど、蝮も猪も食べる。
大河ドラマや、金曜ロードショー、野球中継は欠かさず見ていて、
とにかく物知り。でもそれをひけらかさない。
聞けばいろんなことを教えてくれる。
まじめな顔でお仕事してるけど、
実は変顔が得意。
そしてよく笑う。
離れて暮らしている今。
この先100歳まで生きてくれたとしても、
あと何回会えるのかな。
どうかずっとずっと元気でいてね。
お昼休みに、ふと思い出して、すぐに電話。
電話のむこうで、相変わらず元気なおじいちゃんの声。
「今日やったかー?あー、そうや、今日やわ。ありがとねぇ。」
「おんし、元気にやっとるかよ?」
(うちのおじいちゃんは、相手のことを「おんし(おぬし)」と呼ぶのです)
なぜか涙が出る。なんでだろ。
おじいちゃんやおばあちゃんと電話で話すと、いつも涙が出る。
79歳にして、現役で車の整備士をしているおじいちゃん。
小さい頃から、おじいちゃんはいろんな面を持ったすごい人だと思ってた。
うちは自営業。
車の修理工場を営んでいる。
その工場を立ち上げたのはおじいちゃん。
きっと若い頃は、苦労もいっぱいあったんだろうな。
いつもつなぎ姿で、真っ黒に汚れながら、車の下にもぐっていた。
もちろん大型車も乗りこなす。
その一方で、畑の手入れは欠かさず毎日していた。
私たちが小さい頃、いつも体をはって遊んでくれた。
高い高いしてもらったり、おんぶしてもらったり、
ジャイアントスイング的なことされたり。笑
なんでかよくわかんないけど、蝮も猪も食べる。
大河ドラマや、金曜ロードショー、野球中継は欠かさず見ていて、
とにかく物知り。でもそれをひけらかさない。
聞けばいろんなことを教えてくれる。
まじめな顔でお仕事してるけど、
実は変顔が得意。
そしてよく笑う。
離れて暮らしている今。
この先100歳まで生きてくれたとしても、
あと何回会えるのかな。
どうかずっとずっと元気でいてね。
新幹線の中で。
11月4日に書いたこと。
昨日の帰りの新幹線。
前の席に座ってた男性が
「あの、すいません。
ちょっといいですか?」
と隣の席の女性に話しかけた。
二言、三言交わした後
女性が自分の隣に座っていた
小学生くらいの男の子と席を入れ替わった。
その子は女性の息子さん。
「あの、すいません。
ちょっといいですか?」
と隣の席の女性に話しかけた。
二言、三言交わした後
女性が自分の隣に座っていた
小学生くらいの男の子と席を入れ替わった。
その子は女性の息子さん。
「なんだろー?」
と思って見ていると
男の子が持っていた野球カードのコレクションを男性に渡した。
と思って見ていると
男の子が持っていた野球カードのコレクションを男性に渡した。
どうやら男性はこれが気になったらしい。
そこからふたりの間にはたくさんの笑顔。
男の子も自分の好きなものについて聞かれて嬉しそう。
話に花が咲いて、
共通の知り合いがいることもわかったらしく、
とても盛り上がっていた。
男の子も自分の好きなものについて聞かれて嬉しそう。
話に花が咲いて、
共通の知り合いがいることもわかったらしく、
とても盛り上がっていた。
気がつけば、私の横の席に座ってた老夫婦も
笑顔でその様子を眺めている。
笑顔でその様子を眺めている。
もうこの人たちと出会うことって
この先きっとないんだろうなあと思う。
たまたま乗った新幹線が同じで、
たまたま席が近かっただけ。
ただの偶然といえば、そのとおりだ。
この先きっとないんだろうなあと思う。
たまたま乗った新幹線が同じで、
たまたま席が近かっただけ。
ただの偶然といえば、そのとおりだ。
だけどこの場で
あったかい感情を共有できたのは紛れもない事実。
その事実によって、ただの偶然が、何か意味のある偶然に変わった。
あったかい感情を共有できたのは紛れもない事実。
その事実によって、ただの偶然が、何か意味のある偶然に変わった。
私は別に
言葉を交わしたわけでもなんでもなくて
ただ後ろの席から眺めていただけだけど
とても幸せな気持ちになった。
言葉を交わしたわけでもなんでもなくて
ただ後ろの席から眺めていただけだけど
とても幸せな気持ちになった。
人と人との関係って本来こうあるべきだと思うし
みんな実はそれを求めているんじゃないかなあと思う。
みんな実はそれを求めているんじゃないかなあと思う。
この男性のように、
子ども心や好奇心、優しさの混ざり合った素直な気持ちを
持ち続けることは難しい。
子ども心や好奇心、優しさの混ざり合った素直な気持ちを
持ち続けることは難しい。
年を重ねれば重ねるほど
周りの目や、常識という枠にとらわれがちになる。
私だってそう。
周りの目や、常識という枠にとらわれがちになる。
私だってそう。
最近は、子供にアメ玉をあげることすら安易にできない世の中。
知らない人から話しかけられたら
疑いから入らないといけない世の中。
知らない人から話しかけられたら
疑いから入らないといけない世の中。
そんな時代の中で
こんなあったかい心の交差を目にすることができて
とても幸せだったわけです。
こんなあったかい心の交差を目にすることができて
とても幸せだったわけです。
里帰り。
10月20日に書いたこと。
この前の3連休は実家に帰ってました。
いつもは友達との予定を詰めたり
出かけてばかりで
せっかく帰っても
ほとんど家にいないけど
出かけてばかりで
せっかく帰っても
ほとんど家にいないけど
今回はあえてほとんど予定を入れず、
久しぶりに実家で
ゆっくりのんびり家族と過ごしました。
久しぶりに実家で
ゆっくりのんびり家族と過ごしました。
そしたら
今まで見えてなかった変化が
たくさん見えて。
今まで見えてなかった変化が
たくさん見えて。
おじいちゃんの目が濁ってた。
喋ったり笑ったりする顔は
変わってないけれど、
行動の其処彼処に、老いが感じられた。
喋ったり笑ったりする顔は
変わってないけれど、
行動の其処彼処に、老いが感じられた。
おばあちゃんもそう。
前、こんなにしわ多かったっけ。
私の知ってるおばあちゃんは
いつもばっちり化粧をキメていたはず。
前、こんなにしわ多かったっけ。
私の知ってるおばあちゃんは
いつもばっちり化粧をキメていたはず。
お向かいのおばあちゃんも
髪の毛が真っ白になってたり
髪の毛が真っ白になってたり
お祭りがあって
久々に会った近所の人たちは
私の記憶のなかのその人達とは
ずいぶんと違っていた。
久々に会った近所の人たちは
私の記憶のなかのその人達とは
ずいぶんと違っていた。
解体されて
跡形もなくなっていた小学校のプール。
跡形もなくなっていた小学校のプール。
小学生の頃
秘密基地をつくって遊んだ場所には
新しい公民館が建っていた。
秘密基地をつくって遊んだ場所には
新しい公民館が建っていた。
友達の赤ちゃんは
いつの間にか大きくなって
きゃっきゃと走り回っていて
いつの間にか大きくなって
きゃっきゃと走り回っていて
うちの近くには、数年後、
高速道路ができるとかできないとか、
リニモが通るとか通らないとか。
自然がまた無くなっちゃうんだ。
高速道路ができるとかできないとか、
リニモが通るとか通らないとか。
自然がまた無くなっちゃうんだ。
いとこの男の子は
私の背なんて遥かに通り越して
もう男の子じゃなくて
立派な男性になってた。
私の背なんて遥かに通り越して
もう男の子じゃなくて
立派な男性になってた。
久しぶりに弾いた
実家のピアノは
音が狂っていて、所々、不協和音。
実家のピアノは
音が狂っていて、所々、不協和音。
楽譜にも埃がかぶっていて
あぁ、どれほどの月日が流れたんだろうって
ぼんやり考えた。
あぁ、どれほどの月日が流れたんだろうって
ぼんやり考えた。
「りなちゃん、また大きくなったんやないか?」と
私を見て笑うおじいちゃん。
私を見て笑うおじいちゃん。
前よりも
ひとまわり小さくなったように
感じられるおじいちゃんに
「私は変わってないよ」と言った。
ひとまわり小さくなったように
感じられるおじいちゃんに
「私は変わってないよ」と言った。
でもきっと
おじいちゃん達にとっては
私も変わりゆく要因の一つなんだろうなあ。
おじいちゃん達にとっては
私も変わりゆく要因の一つなんだろうなあ。
変わってほしくないと願うことは
愚かなことなんだろうか。
愚かなことなんだろうか。
なかなか上書き保存が追いつかない。
もちろん嬉しい変化だって
たくさんあるけれど。
たくさんあるけれど。
なんだか自分の故郷が
自分の知らない場所に
なってしまうような
そんな感覚をおぼえて
少しだけ不安を感じました。
自分の知らない場所に
なってしまうような
そんな感覚をおぼえて
少しだけ不安を感じました。
時間つくって、
もっと帰るようにしよっと。
もっと帰るようにしよっと。
2014年11月18日火曜日
新たに。
大学生の頃、ブログをずっと書いてた。
SNSが主流になってから、ブログよりも
FaceBookや、Twitterで、ぽつぽつ自分の思うことや感じたことを
文章にしてきたのだけれど
周りの人のすすめもあって
自分の言葉をなんらかのかたちで
まとめて残しておこうと思った。
日記をつけるのが好きで、
小学生から高校生くらいまで、ずっとつけてた。
あの頃の自分には、秘密がいっぱいあって。
気になる男の子と目が合ったお昼休みの渡り廊下。
友達と授業をサボって、芝生に寝転がって見た青空。
教室の窓から見える風景。
そういうものが色褪せていかないように、日記に記してた。
大人になるのが怖くて
忘れてしまうのが怖くて
いつかこの日記を見返すであろう、大人になった自分に
今の自分が何を考えているのか、どう感じているのか、
何が幸せで、何が不安で、何を求めているのか
それを思い出してほしくて、日記をつけていたのを覚えている。
おかげさまで、今の私は
たまに自分のつけた日記を読み返しては、くすりと笑ったり、
「こんなことを感じていたのか」と驚いたりする。
子供の頃の自分と会話しているみたいで、
日記を読み返す時間はとても大切な時間。
25歳になった今。
どちらかというと今の私は
自分のことばや想いを、自分だけの中に秘めておくというよりかは
発信したい気持ちのほうが強い。
だからあえて、「日記」ではなく
「ブログ」というかたちで
ひとつの記録として残しておこうかなーって。
まあ、そんな感じです。
SNSが主流になってから、ブログよりも
FaceBookや、Twitterで、ぽつぽつ自分の思うことや感じたことを
文章にしてきたのだけれど
周りの人のすすめもあって
自分の言葉をなんらかのかたちで
まとめて残しておこうと思った。
日記をつけるのが好きで、
小学生から高校生くらいまで、ずっとつけてた。
あの頃の自分には、秘密がいっぱいあって。
気になる男の子と目が合ったお昼休みの渡り廊下。
友達と授業をサボって、芝生に寝転がって見た青空。
教室の窓から見える風景。
そういうものが色褪せていかないように、日記に記してた。
大人になるのが怖くて
忘れてしまうのが怖くて
いつかこの日記を見返すであろう、大人になった自分に
今の自分が何を考えているのか、どう感じているのか、
何が幸せで、何が不安で、何を求めているのか
それを思い出してほしくて、日記をつけていたのを覚えている。
おかげさまで、今の私は
たまに自分のつけた日記を読み返しては、くすりと笑ったり、
「こんなことを感じていたのか」と驚いたりする。
子供の頃の自分と会話しているみたいで、
日記を読み返す時間はとても大切な時間。
25歳になった今。
どちらかというと今の私は
自分のことばや想いを、自分だけの中に秘めておくというよりかは
発信したい気持ちのほうが強い。
だからあえて、「日記」ではなく
「ブログ」というかたちで
ひとつの記録として残しておこうかなーって。
まあ、そんな感じです。
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